「字がきれいな人間は勉強ができる」か?

今回は私の幼少期のコンプレックスを払拭するお話です。

私は字が汚いです。

小学生のころからノートは汚く、乱雑としていました。
そんなノートを見られると、教師や両親にこう言われました。
 「文字が汚いと勉強ができなくなるよ」
 「字がきれいなほうが勉強ができるよ」

大変な間違いです。文字の綺麗さと学習能力には相関関係がありません。

「きれいな字」を目指した経験

 ブログ記事を書くにあたっては、私の記憶を頼りにテーマと内容を考え、その後google検索などでエビデンスがないかを調べます。実は草稿段階だと、この結論には確証がありませんでした。

 私の字の汚さは筋金入りで、幼少のころ当時それを見かねた両親が、小学3年生から3年間、硬筆・毛筆での習字教室に通わせてくれました。おかげで必要な場面でかなり頑張って意識すると、きれいな文字を書くことが可能になりましたが、ノートやメモ書きはついぞ綺麗にはなりませんでした。

こうして「字の汚さ」は、私のコンプレックスになっていたのです。

そして今になり、検索エンジンで「字がきれい 勉強ができる」などと検索をかけてみると、様々なサイトやブログ記事にて

「文字の綺麗さと学力には相関関係がない」
「むしろ東大生などのトップ層は文字が汚い」

などなど
 文字の汚さがむしろ有利に働く場面もある、という結論が見えてきたのです。
 性分だから仕方ない、と半ばコンプレックスを抑えつけるようにして生きてきましたが、どうやら世間の風潮は知らないうちに大きく追い風になっていたようです。

 ここからは文字が汚いことのメリットについて、私なりの意見をお伝えしたいと思います。

・集中できる

 人はマルチタスクが苦手な生き物です。ノートを取ることと、先生の話を聞くことがしっかりと両立できる学生は珍しく、難しいことです。
 そして勉学の本質は、学んだことをしっかりと頭の中にいれることです。
 だから授業中はノートをきれいに取るよりも、先生が何を伝えようとしていて、何が重要なポイントなのかに意識をもっていくことが大切なのです。

・復習のときに文字が読めない

一見デメリットに見えますが、これは大きなメリットです。

 字が汚いとノートが読みにくく、頭の中で「授業中はどうだったかな」「ここはなんて書いたんだっけ」と考えながら読む必要があります。開き直るようですが、これが実は問題集を解くときのアウトプットの思考なのです。
字が汚いことで、自分専用の問題集ができるのです。

 単純な読み返しには学習効果が薄く「わかった気」になる危険性がある、という科学的な根拠まで存在します。

字が汚くても問題なかった

 小学生のときの私は、このようなメリットを意識して字を汚く書いていたわけではありませんが、確かに字が汚くても授業を理解していればテストの点は高くなるという認識をもっていました。そしてそれはどうやら、勘違いではなかったようです。

 ただし、字が汚いと苦労する場面もたしかにあります。
 それは正確な情報伝達が要求される時です。

 現在は随分とIT化が進み、連絡に紙にメモを利用する頻度は下がりました。それでも近くにいる人にあとで何かを伝えたり、スマホなどが使えない状況でメモを残すことはあります。
 文字が汚いと情報伝達ミスが起こりやすくなるので、そこは注意が必要です。
 また自分しか見ないメモでも、情報の誤認識が起こりやすくなります。
 ここは明確なデメリットなので、意識して字を綺麗に書く必要があるタイミングは理解しておきたいところです。

 これからも私は字が汚いままでしょう。ですが、それについてもうコンプレックスには思いません。

胸を張って堂々と汚い字を書いていきます。文字よりも大事なものを見逃さないために

今回も読んでくださってありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。

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