「書くこと」のすべてを機械にまかせる時代はくるだろうか?

今回はAIと人間に関わるお話です。

記事タイトルに採用したこの一文。これは2012年に第一刷発行された本、古賀史健著『20歳の自分に受けさせたい文章講義』のプロローグに書かれたものです。

似たような問題提起が昔からありますが、最近のAI熱によってますます議論が加熱しているように私には感じられます。

私の考えとしては「機械に文章をすべて任せる時代」はこない、です。
本の中でも「それはありえない話だ」とばっさり。


相反する二人の意見が一致した理由

2025年ブログを書き始めてまだ間もない、文章の素人の一般人「けいず」
2012年出版の本に書かれた、文章のプロであるライター「古賀史健」氏の意見

相反する属性を持つ二人の意見が一致することになった理由を今からお伝えします。


AIに謝罪メールを任せたら

例えば、あなたは会社員で先日大きなミスをしたとします。
上司に助けてもらってなんとかリカバーできたものの、お礼と謝罪のメールを送らないといけない。そんな状況です。

あなたならどうしますか?

なんとか自分の持つボキャブラリーの中で、誠心誠意をつくして謝罪メールを考えるのが一般的であり、礼儀として正しいことでしょう。

しかし現代にはAIというものが段々と普及してきており、特に若い子になると「AIに任せよう」という選択肢が浮かぶことがあるのです。

そしてAIに文章作成をお願いし、出てきた内容をコピー&ペースト。送信。
上司から「気にするな」と返信がきて一安心。

今のAIはIQ測定ではIQ130を越えます。
情報を打ち込めば、謝罪文をはじめ会議用の資料作成まで何でもこなします。

そして出力される文章はたいていの場合、人間が頭をひねって出すソレよりも素晴らしいものになりつつあります。

そして人類はどんどん進化するAIに文章をまかせ、ついには「書くこと」のすべてを機械にまかせる時代が到来したのでした……。

とはなりません。


AIの限界と人間の役割

今、画面の前で「おいおいおい」とツッコミが入ったように、それはありえない、と体感的にわかった方は多いと思います。

理由としては、AIの文章を「良し」とするのは人間の判断によるものだからです。
AIが出力した文章の正誤を見極める役割は人間にしか果たせないのです。

そして見極めを行う人間が間違っていれば、いかにAIの能力が高くても、間違ったものが完成してしまう。これは不変の事実でしょう。

「文章力」のない人間はAIを使っても良い文章を「良い」と判断できないのです。

先程の謝罪メールの例でいくと、
上司がかなり気難しい人で、メールの一字一句にすら揚げ足を取るようなタイプであった場合、
AIの考えた謝罪文をそのまま送ると反感を買うかもしれません。AIは「誰に送るのか」を素の状態では考慮してくれないため、当たり障りのない文章にしかならないからです。

また上司といっても、どれだけ上位の役職かによっても微調整が必要になるでしょう。
複数人に送らないといけない場面もあるかと思います。

もちろんこれはAIへの指示を変えることで調整可能ですが、そんなことに頭を悩ませるより、自ら謝罪を受け取る人のことを考えて内容を変えたほうが手間がかからないと思います。

その時に問われるのは、やはり個人の文章力なのです。


「書くこと」のすべてを機械にまかせる時代はこない

なるほど文章力を身につける必要性は、これからのAI時代でも無くなることはなさそうです。

私も学びの途中です。
文章を書く技術の詳細はプロに譲りますが、その時に『20歳の自分に受けさせたい文章講義』はおすすめの一冊になっています。

今回も読んでくださってありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。

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